世の中には色々な道具があふれている。
電気、机、パソコン、携帯電話、車、など。
どうして色々な道具があるかというと、
生活を便利にしてくれるからだ。
ただ、便利な一方で、
使い方によっては人を傷つけることもできる。
しかも、道具の性能が上がれば上がるほど、
より便利になる一方で、
より人を傷つける凶器にもなる。
勉強も一つの道具でしかないと私は思う。
勉強をすればするほど、
たくさんの知識が手に入るし、
忍耐力だってつくし、
将来の可能性だって広がる。
だから、生徒たちはみんな一生懸命勉強しているし、
保護者の方も、学校の先生も、私も、
世の中のほとんどの人が、
勉強することを推奨している。
勉強をして偏差値が上がるということは、
勉強という道具の性能を上げているということだ。
だから将来の可能性が広がるわけで。
ただ、残念なことに、
勉強の使い方というものを教えていない気がするのだ。
例えば、偏差値が高い人が、
勉強のできない人を見下したり、
パソコンの知識をハッキングなどの良くないことに使ったり。
だから、
道具の性能を上げることと、
正しい使い方をすることの両方が必要だと思うのだ。
つまり、
偏差値を上げることと、
人間性を上げることの両方が必要だと思うのだ。
偏差値の高い大学に行っても幸せになれない人、
逆に、
学歴がなくても幸せな人。
それは、
偏差値という切り口ではなく、
人間性という切り口で見るとわかりやすいと思うのだ。
例えば、人間性偏差値というものがあったとして、
幸せな人は、
ほとんどの人が人間偏差値が高いはずだ。
それにも関わらず、
勉強の偏差値を上げることばかりに躍起になっていることに、
私は違和感を感じている。
もちろん、言うまでもなく、
勉強の偏差値も大切。
そして、それと同じくらい、
人間偏差値も大切だと思うのだ。
生徒たちには少しずつ伝えているつもりなのだが、
まだまだ個々の話しが点でしかない。
今はその点をまとめて、
線にする作業を行っている。
宮崎塾に来てくれる生徒に、
3年間という時間の中で、
人間偏差値が高まるようなカリキュラムを組んでいきたい。
当たり前だが、
数学専門塾なので、
数学の偏差値を上げるのは当然としてね。
1年かけて完成させるのが目標なのだが、
作業量が膨大すぎてなかなか進まないんだよねぇ。
うーむ。
ただまぁ、
「千里の道も一歩から」
なので、
これからも毎日一歩一歩進んでいこうと思う。
出会う生徒たちがハッピーになるように。