宮崎興治の生徒に!保護者へ!塾内日誌!

【阪田】春は別れと出会いの季節

春は別れと出会いの季節と言いますが、花粉症気味の僕の目がだんだんかゆくなってきましたので、徐々に春が近づき、別れと出会いがやってきたようです。

 

 

まずは、先日17日に行われた入塾テストにご参加いただいた方、誠にありがとうございました。採点をしながら、みんなの思いを読みながら、本当に全員を迎えいれたい気持ちになりました。しかしながら、宮崎と二人で回している塾なので満足のいく指導ができる数にはどうしても限りが出てしまいます。

 

早い者勝ちよりは……と断腸の思いでの入塾テストであることをご理解いただければと思います。また、一度だけの、しかも中学範囲までのテストでこれから先の3年間が測れるとは思っていません。便宜上「合否」を出していますが、それは参加されたみなさんの「これまで」と「これから」を決めたものではないことを、ここに強く記します。今回のテストで思うような結果が出なかった人も、どうか気落ちせず、目標に向けてたゆまぬ歩みを続けてもらえたらと思います。

 

一回だけのテストでその後入塾の機会は一切ない、というのではあまりにも申し訳ない、という思いがありました。これまで追加募集はほとんどしていなかったのですが、今回ご参加いただいた新年度高1生の学年は、2年次の途中、大学受験に向けての学習が本格化するカリキュラムに入る時期に数名の追加募集をする予定です。それまで学校での学習にしっかり取り組んで、今回の結果を出した僕たちを見返してください。

 

また、春期講習でお話すると思いますが、一緒に勉強をすることになった人たち。授業をするのは僕たちですが、努力をするのはみなさんも、です。僕たちができる最高の授業と最高の環境を用意します。ですが、その環境を生かすも殺すも自分次第であることを胸に留め、この結果に油断せず、高校3年間を過ごしてほしいと思っています。

3年間は長く、気持ちの浮き沈みもあると思います。ですが、目標に対しての思いを絶やさずにいてくれれば、必ず最後までサポートします。

 

 

どうか、みんなの、みんなの、これからの3年間が素晴らしいものでありますように。

 

 

そして去る16日は卒業生のお別れ会というか打ち上げというかそういった感じのものがありまして。食事会などでこれまでの苦労を派手に労いたいところですが、このご時世なので今年も塾での開催となりました。色紙、ありがとうね。うれしかったです。

 

この仕事をしていると毎年多くの別れと出会いを経験します。別れの時期が確定されているというのは少し珍しいかもしれません。たった3年間されど3年間、期間限定、限られた空間と限られた話題を共有する3年間は思い出すには濃密で、「あの子は高2でちょっとだれちゃったけど、何とか高3で気持ちを入れ替えて持ち直したんだよな」「あの子は最初から最後まで淡々とコンスタントに努力をして、まっすぐに目標まで進んだな」「あの子はもうほんとどうしようもないくらい怠け者だったけど、うん、それでもすごくジャンプアップできた結果になったな」とか。ぱっと顔を見た瞬間にこれまでの3年間が走馬灯のように巡ります。入塾したときはまだまだ中学生だな、という感じだった子たちが、すっかり大人の顔つきをしています。「ああ本当によくがんばったね」

 

 

そうして卒業を惜しむ間もなく新入生がやってきます。

初めて見る顔を前にしてまた3年間の戦いが始まります。

 

貴重な青春の3年間、子どもから大人になる過程の3年間、その難しさはありますが、時間を共にできて良かった、という気持ちで終えられることが多いです。

 

それと同時に、僕は先生なんて仕事をしているけれど、ただ高校生の勉強をずっとやり続けているだけの人なので、すごくもなんともない、「先生」なんてそんな大それた仕事じゃないんだから、はやく僕のことなんか忘れてしまって、大学や社会に大きく羽ばたいてもっともっとたくさんの開かれた経験をしてほしいという思いがあります。「先生のおかげです」と言われるたびに、「いやいや、君が頑張ったからだよ」と心の底から思っていますし、実際その通り。僕はただ人生の3年間ですれ違った人でしかありません。「卒業生」とは言えるけど「教え子」とは呼べない自意識を抱えていますが、そのくらいの距離感で健全だなと思っています。君たちの結果は、君たちの努力の賜物です。これほどにがんばった3年間の記憶、それは必ず将来君たちを支えるものだから、できるならだれにも渡さないで、自分のものとして大事にしておいてほしいと思っています。

 

 

それでも、時に帰ってきて会いに来てくれたり、ずっと昔の卒業生でも今でも連絡を取ってくれている子だったり、ありがたいなぁ、と思います。成長する卒業生の姿を見ることができる、というのはこの仕事の数あるご褒美の一つなので。

 

みんなの大学生活が、そして社会人となってその先の人生が、バラ色であることを祈っています。うん、きっと大丈夫。

 

 

さようなら。どうぞ、遠くまで、行ってらっしゃい。

また、いつか、どこかでお会いしましょう。

あなたが、あなただけのすばらしいものをつかまえることができますように。

その時は、いつか気が向いたら僕にもちょっとそれ、教えてね。

 

 

 

【本日の一冊】

高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』

 

≪説明≫

 「 小説は「つかまえる」ものであること。小説と「遊ぶ」こと。まねることから始めること。小説の世界に深く入ること。そして最後に、自分の小説を書きはじめること。著者の後について「小説を書く旅」に出た読者は、今まで気づかなかった小説のおもしろさに気づかされる。書くよりもまず、読んでみたくなるはずだ。そして、著者の教えどおり、まねをしたくなる。

   要するに、本書は「小説(を楽しむための)教室」でもある。その意味では、小説家になりたい人が目を通すべき実用の書といえる。音楽を好きな人が音楽家になり、スポーツの好きな人がスポーツ選手になるように、小説を書くためには小説を深く、楽しめることが前提だ。この本を読むと、小説がますます好きになるはず。文章の巧拙やプロット、キャラクターづくりのテクニックを越えた、小説の魅力に目を開かせてくれるからだ。(栗原紀子)」

 

≪一言≫

「小説を読む」ってどういうことかわかりません、なんのために小説を読むのかわかりません、っていうか本を一冊読み通したことがありません、という生徒が結構多い時代になってしまいました。書店の数も減ってるしね……。

僕はとにかく文字がありさえすればうれしい、文字に触れてないと頭がおかしくなってしまう人間なので、それはちょっと悲しいな……と思ってしまいます。

この本は、小説指南書のように見えて、読後感は小説そのもの。小説を書く人はもちろん、読む人にも、小説の読み方、小説の楽しみ方がわからない人たちにやさしくおもしろく小説とは何か、小説の可能性、想像力、そしてまだ見ぬ人への伝え方を教えてくれる一冊です。感動する小説指南書はこの本だけ!