宮崎興治の生徒に!保護者へ!塾内日誌!

【阪田】君が君自身の力で手に入れた ほかの誰にも奪えないものだ

今でこそ、なんでもできるような顔をして偉そうに話しているけれど、中学生の頃はなんにもできなくて、学校にもついていけなくて、ただただ絶望していた。

 

英語は三単現の意味がわからなかった。何をやっているのかもわからないまま課される課題をこなしていた。

意味もわからないまま数学の証明を覚えていた。これが一体なんの意味を持つのかもわからない。解の公式が覚えられない。なんだこれ。自分が何を書いているのかさえ理解できなかった。

地理も日本史も世界史も化学も物理も生物も、何をやっているのか、微塵もわからなかった。

国語だけはずっと得意だったから、何もしなくてもある程度できたけれど、古文も漢文も理解はしていなかった。

中学受験をした先の進学校で、待っていたのは何もわからない暗闇だけだった。

男子校で、何が楽しいわけでもない。がんばって坂道上って登校したところで、聞いてもわからない授業が繰り返されるだけだ。

進学校ゆえ部活もそんなに熱心ではないし、面白いと思えるものは無かった。

 

経済的な事情で塾には通えなかった。

唯一英語だけは途中で巻き返せたけど、他の科目は相変わらずのまま、高校生になった。

わからないなりにがんばってはいたけれど、暗闇の中にいるのは変わらなかった。

 

3に上がろうという頃、特待生として月謝免除で塾に入ることができた。

そこで初めて、自分が何を勉強しているのかが分かった。

数学が日本史が世界史が化学が、意味を持って自分に迫ってきた。

あの時の感動は一生忘れないだろう。

どれだけ体調が悪くても、用事があっても、絶対に欠席しなかった。

(嘘、一度だけ学校の行事か何かで休んだ。バックレようかと思ったけど先生に止められた。)

 

先生が話すことを一文字たりとも逃さぬように、ノートを取りまくった。

今でも大切にとってある。一体そんなに何を書くことがあるの?と授業中に聞かれたくらいだ。一言一句漏らさず書き取っていただけなのだけれど。

 

毎週毎週楽しくて楽しくて仕方がなかった。

あれほどわからなかったものが、あれほど解けなかった問題が、わかるようになる。

勉強が楽しいと初めて思えた。

 

ただの暗記だった日本史・世界史の用語が意味を持って構造を持って把握ができるようになった。あれほど苦痛だった歴史の授業が楽しく仕方がない。頭の中に新しい領域が広がって、そこに整然と知識が整理されていく。

 

ひとかけらも意味が理解できなかった化学の問題が、なぜかすらすら解けるようになる。魔法だった。複雑な設定の問題も、いつの間にか解きほぐされて自分の手で扱えるように姿を変えた。

 

ただただ山のように存在する公式を覚えて処理するだけだったモノクロの数学が、なぜそう考えるのか、なぜその解法を用いるのか、どうやって考えていけばいいかが手に取るようにわかるようになった。

 

泣きたくなるほど何も理解できなかった自分とは全く関わりがないように思えていたものが、自分にもわかる、自分にも解ける、自分にも開かれていることが分かって、何度も感動して泣いた。(参考書とかでも泣いた)

こうすれば解ける!という方法がわかったらそれを試したくていろんな問題を解いていった。解けることが楽しくてますます勉強が進んだ。志望校なんか特に定めていなかったので、ただやみくもに勉強をしていた。楽しくて。

新しく得た知識と新しく得た世界が輝いていて、ずっとそこで遊んでいた。

 

人生の中でも最も楽しかった時期の一つだ。

僕の人生は、この時に決定された。されてしまった。

「塾の先生になろう」と、もう決めてしまっていた。

こんな風に一筋の光を射せるような仕事をしたい。

 

塾の進路面談で、「塾講師になろうと思ってます」と言ったら、「いやいや、国家公務員とかになりなさいよ」と言われた覚えがある。いや、でも国家公務員とか知らんし。

 

結局大学に入ってすぐに塾講師のバイトを探し始めて、そのままどっぷりとこの仕事に浸かることになる。

 

物理も生物も政治経済も数学Ⅲも、高校生の時に選択しなかった科目を勉強し続けた。いろんな参考書を読んで自分で勉強するしかなかったけど、ホームラン級の一冊に出会ったり、悩んで悩んでようやく理解できて素晴らしい一冊に変わったものもあった。勉強することが楽しかった。授業をすることが楽しかった。

 

あの感動をずっと追い求めていた。

 

だから、今でも授業をしていると、高校生の頃の僕が教室に座っている。

一番厳しいジャッジがそこにいて、毎授業僕を見ている。

あの頃の僕を納得させられるような授業ができているだろうか。

あの頃の僕の目が輝くような授業ができているだろうか。

 

当たり前で紋切り型の情報提示をしていないだろうか。

面白いはずの学問の世界をきちんと示せているだろうか。

 

「これなら自分でもできる!」と思わせられているだろうか。

「勉強っておもしろい!!」って思わせられているだろうか。

 

自分には関係ないと思っていたことが、無関係のことが、つながっていく。すべてのものはすべての知識はつながっていく、という知の興奮を与えられているだろうか。

そしてその連綿とした知の体系のまさにその中に自分というちっぽけな存在が確かにいて、あらゆるものとつながっているのだ、という驚きと安心を与えられているだろうか。

 

道はまだ遠いけれど、もし少しでもそう思ってもらえたらすごく嬉しい。

「成績あがったよ!」とか、「できるようになった!」とか「おもしろかった!」とか、

「合格できました!!」って言ってもらえるのがこの仕事のやりがいで生きがいだから。

 

できれば教えてね。

 

コミュに障がいがあるので、そんなに飛び跳ねて喜んだりはできないけど、その一言でその日一日中うれしいよ。

 

 

知的興奮が、勉強を支えてくれる。

どうか楽しく勉強を乗り越えて成長することができますように。

そう祈りながら毎日の授業をしている。

 

 

【本日の一冊】

藤のよう『せんせいのお人形』

 

≪内容紹介≫(amazonより)

「俺は教育するよ 君を」 育児放棄されていた少女の魂の再生を描く感動作が、ついに書籍化。

 

スマートコミックアプリ「comico」の人気フルカラーコミック!

カバー裏、本体表紙まであますところなく収録!!

 

親から育児放棄され、基本的な生活習慣すら身につかないまま育ってきた、女子高生スミカ。

親戚の間をたらいまわしにされた末、教師をしている昭明に引き取られる。

 

これまで大人になにもしてもらってないから、自分はなにもできないんだ、と慟哭するスミカに、昭明は宣言する。

 

「――気が変わった。

俺は教育するよ 君を。

このまま全部人のせいにして流されるように生きたいか?

自分で自分の手綱をとるか?

俺にはその手助けができる。

どうする」

 

人は、なんのために学ぶのか。なんのために生きるのか。

スミカの再生の物語が、いま、はじまる。

 

≪一言≫

趣向を変えたわけじゃないけど、今日のこのテーマだとこの漫画は外せない。2巻第20話「学問の鳥瞰図」までは絶対に読んで!学問の意味と楽しさをこんなにも鮮烈に描いた作品を他に僕は知らない。物理書籍版は3巻まで、続刊は電子書籍版で最近完結したので、最後まで読めます。(物理で最終巻まで欲しいよ……。)最後もまた良いんだ……。オールタイムベスト級のシリーズ。僕は生涯本棚に入れて事あるごとに読み返すことが決まっています。