宮崎興治の生徒に!保護者へ!塾内日誌!

【阪田】そのキラキラにしたがって

ゴールデンウィークと呼ばれるものは我々の業界には存在しないのですが、上の子は小学生になったので、珍しく家にいて、キャッキャと駆け回っている。

 

いつの間にか気づけば二人の子どもが家に存在しており、世界の中心となっている。

 

自分の時間というものは子どもたちが眠った後にしか存在せず、一日子どもの相手をした後は脳が変な感じに疲弊して、意義ある活動をすることすら難しい。

 

日中も、子どもを嫁氏に任せてジムに行くなどしていると、心のどこかに罪悪感が発生して、早く切り上げてしまうし、そもそももう長らく行っていない。それは僕が怠惰なだけかもしれない。

 

独身の頃はいろいろとやりたいことがあったし、行きたいところも買いたいものもたくさんあったような気がする。なりたい自分があったし、大きな野望もあったような気がする。可能性を信じていたし、将来を夢見ていた。

 

それは、若さゆえなのかもしれないが、じっくりと考えてみると大きなターニングポイントとなったのは、やはり子どもができた時だろうと思う。

 

行きたいところは、子どもが楽しめるところ。(おもちゃ王国がめちゃくちゃいい)

外食するにも、子どもが多少騒いでも問題なく、子どもの食べられるものがあるところ。(ファミレスのありがたさ)

洋服を買いに行っても、動きやすくて汚れても問題ないもの、という選び方になってしまうし、自分の洋服を買いに行ったはずが結局子ども服だけ買って帰っていたりする。(ユニクロのすばらしさ)

 

ふっと休みを与えられても、「自分」がどこに行きたいのかわからなくなっている。

結局家でごろごろして子どもと遊んだり、ちょっと公園に出かけたりしている間にいつもと変わらない一日を送って子どもを寝かしつけたころには疲労困憊している。

自分というものの意識が極めて薄くなっている。

 

なりたい自分も、大きな野望も、可能性も将来も、自分の中から抜け出していってしまった。

熱くたぎるような野心が、どれだけ背伸びしてでもつかみ取りたいものが、確かにあった。唯一無二のものになりたいという切望が、確かにあった。

 

でも、今、自分の心の中のどこを見渡しても、そんな気持ちが無くなってしまっている。少なくとも以前のような濃度では存在していない。

 

それは、おそらくこの二人に譲り渡してしまったんだろう。

 

 

 

自分が中高生の頃、自分の親が好きじゃなかった。

かっこよくなかった。

憧れていられなかった。

生活に疲れ、生活に追われる、そんな生活。

 

 

夢を追いかけていないじゃん。

輝くような将来を持っていないじゃん。

 

そうしたキラキラしたものは家庭の中じゃなくてメディアの中にあって、都会にあって、ここではないどこかにあった。

 

だから早くここから抜け出して、一刻も早く、その環境から脱出したかった。

 

だけど、行きついたその先には、夢も輝く将来ももはや持っていない自分がいた。

なぜならそれはそうしたキラキラを全部子どもにあげてしまったから。

 

 

あの頃の僕が持っていたキラキラは、かつては僕の両親が持っていたキラキラで。

それはさらに遡って祖父母が持っていたキラキラで。

 

僕がダサいと思っていたその生活は、僕にかけがえのないものをくれた結果のものだった。

 

そして、今、親になって、自分にはなくなったキラキラを、娘たちが持っていて、それがとても誇らしい。どうかそれを持ってずっとずっと遠くまで笑顔でずんずん歩いていってほしい。

 

そして、今、親になって、そうした子どもに対する想いは、親が僕に対して持っていたもので。祖父母が親に対して持っていたものに違いないと思えるようになった。

 

それを思うと、これまで自分が親に対して取ってきた態度が、言動が、じいちゃんばあちゃんに申し訳なくて仕方がない。

 

あなたたちが大事にしていた子どもに、なんてことをしてしまったんだろうか。

 

 

だから高校生を前にして、お話をするときに、

自分だってそうだったんだからあんまり偉そうなことは言えないけれど、

 

あなたの両親は、おじいちゃんおばあちゃんが期待と希望を込めてずっと笑顔でいてほしいと願って送り出した子どもで。

あなたの両親も、今のあなたと同じくらいにキラキラしたものを持っていて、輝く夢とぴかぴかの将来を思い描いていて。

そして、おそらくはあなたのためにそのキラキラを手放して、なりたかった自分の幾許かをあきらめて、そうしてあなたにキラキラを譲ってくれた。

 

それを少しでも心の片隅に留めておいてほしいなと思う。

 

 

学ぶことはこれまで生きた人たちの歴史の恩恵を頂くこと。

それは自分を取り巻く環境にも言えることで。

 

感謝を持って学び、感謝を持って生きることができるといいなと思う。

 

ほんの少しでもいいから、ちょっぴりだけ多く意識して「ありがとう」を言えるようになってほしい。

 

ことさらに感謝をしてほしい訳じゃないけれど、そうやっていつまでもキラキラして笑顔でいてもらいたいと思っていて、そのキラキラが反射してくる分で、もう、人生には十分だと思っている。

 

 

 

 

【本日の一冊】

上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

 

 

≪内容紹介≫(amazonより)

ユートピアか? はたまた地獄か? 想像を遥かに超える展開に引きずり込まれる、衝撃のノンフィクション!

解放感→至福→怠惰→不安→逃避→そして……。まさかの「哲学的」展開があなたを襲う!?

 

京大卒業後、人生に行き詰まりを感じて仕事を辞めた男・上田啓太。

二度寝、夜更かし、昼からビール。漫画に音楽にネット三昧。解放感と怠惰にひたる至福の日々もつかの間、やがて心に不安が漂い始める。

今までの人生、なんだったのか。これからの人生、どうしたらいいのか。悩んだ末、さまざまな実験に没頭し始める。

「読書、運動、生活習慣の改善で悩みは消えるのか?

「封印していた記憶を書き出したら、トラウマは解消されるのか?

「文字を読むことをやめたら、思考は静かになるのか?

「鏡に向かって『お前は誰だ?』と言い続けたら、自分がわからなくなるのか?……

外部からの刺激を避け、自己への実験と観察を続けるうちに、だんだん「自分らしさ」の感覚が薄れていき――。

 

「最初は笑って読んでたけど、だんだん背筋が寒くなってきた」

「混沌と哲学の世界」「頭がクラクラした」

「人間が生きる意味ってなんだろうと考えてしまった」

想像を超える展開に翻弄される人続出。

累計1000PVの奇才による伝説のドキュメント、ついに書籍化!

 

 

≪一言≫

ちょうど今日読んでてちょう面白かったので、勢いで紹介してしまう。自身の心身を使った数々の人体実験。他に類を見ない圧倒的奇書。自分では体験できなかった人生を垣間見ることができるという本を読む醍醐味そのものがまさにここにある。