先日のお休みは、子ども2人を連れて映画館へ足を運びました。私も子どもたちも前編からずっと心待ちにしていた『ウィキッド 永遠の約束(Wicked For Good)』の鑑賞です。前編を観た時からその世界観に圧倒されていましたが、完結編となる今作は、まさに最高級のエンターテインメントでした。しかし、単なる「魔法の国のファンタジー」で片付けるには、あまりにも鋭く、深いテーマが突き刺さる作品でもありました。
まず、エルファバ役のシンシア・エリヴォと、グリンダ役のアリアナ・グランデ。この二人のキャスティングは、もはや奇跡と言ってもいいかもしれません。後編では、映画独自のシークエンスである『The Girl in the Bubble』も最高でした。グリンダの役柄が演出も併せてより一層の深みを持つものになっており、まずミュージカル映画として歌が素晴らしい。それだけだったら秀作で終わっていたかもしれませんが、今作で特に印象的だったのは、物語の根底に流れる政治的な危うさです。
人は、共通の敵を作ることで一つになれる。劇中で描かれるオズの魔法使いの支配体制は、現代社会におけるファシズムやプロパガンダそのものです。特定の存在を「邪悪」と定義し、民衆の不満をそちらへ向けることで権力を維持する手法。何が「前」で何が「後ろ」か。何が「表」で何が「裏」か。何が「正義」で何が「悪」か。何が「good」で何が「wicked」か。
私たちが普段、自明のこととして信じ込まされている「正義」がいかに脆いものであるかを、この映画は華やかなダンスと音楽の裏側で冷徹に突きつけてきます。
そしてもう一つ、心に深く残ったのは「人は必ずしも完全なる善ではいられない」という視点です。エルファバは正義のために戦いますが、その激しさは時に周囲を傷つけます。一方で、グリンダは民衆から「善い魔女」として慕われますが、それは保身や嘘、妥協や虚栄心の上に成り立っています。
我々は完全なる「善」として存在することはできない。できることは、善を志向して(for good)、それを永遠に続ける(for good)、続けようとすることだけではないでしょうか。
自分が善である、といった慢心を抱かず、また他人が善でないと一方的に非難するのではなく、自らの不完全さを受け入れ、それでもなお善きものを求めることが、我々のできる倫理的な生き方なのではないかと感じました。
そして、民衆は飲み込みやすい欺瞞を信じたまま、嘘を嘘とも気づかずに、虚像を虚像とも知らずに、生活を続けていく、というエンディングは痛烈な現代社会批判でもあります。特に現代の政治情勢において、マイノリティの弾圧、プロパガンダ、情報操作、といったものは、現実との重ね合わせを感じずにはいられません。
子どもたちは、魔法や美しい衣装、空飛ぶ猿の迫力に目を輝かせていました。その一方で、親である私は、社会の構造や人間心理の深淵を覗き見るような、濃密な時間を過ごせました。そうした二面性が最高級レベルのエンタメとして統合されていることが、この前後編5時間の大作を名作たらしめているのでしょう。
ミュージカル自体が好きですが、その中でもこの映画は大傑作です。そんな贅沢な体験をさせてくれたこの映画に、心からの拍手を送りたいと思います。前編を観た方はもちろん、まだこの世界に触れていない方にも、ぜひ映画館の音響で、できればIMAXで二人の歌声を浴びてほしい。そう確信した休日でした。
そのあと、近くの公園に行き、ゲームセンターに行き、晩御飯を食べましたが、食事中に「今日は公園に行けて楽しかったね!」と言っていたので、子どもたちには映画の内容はそう刺さらなかったのかもしれません。まぁ、前編の方が楽しくキラキラだったもんね。後編はつらくて、カタルシスもあまりなくて。それもまた、青春と大人の対比のようでいいのだけれど。
君たちは、まだまだキラキラしていてね。
