言葉って、すごい。
文系の授業を担当していると、ふとそんな気持ちになる瞬間があります。
ただの音なのに、ただの文字なのに、それが人の心を動かす。記録に残り、記憶に残り、心に残る。そして、その人が世を去った後も、言葉だけが残りつづける。
なんでそんなものが生まれたのか、と考えると、愛しくて仕方なくなります。
言葉の出発点は、たぶんシンプルな衝動です。伝えたい。この気持ちを、誰かに届けたい。つながりたい。その切実さから、言葉は生まれました。
そして、この思いを残したい、後の人へ伝えたいという気持ちから、文字が生まれました。
さらに、より正確に、より深く伝えるために、論理が発達し、修辞が生まれました。
今ぼくらが当たり前のように使っている言葉は、そういう思いの積み重ねの結晶です。
だから、読むことは、聞くことは、すごいことだと思います。
何百年前の人の思いを、何千年前の人の記録を、今この瞬間に受け取ることができます。まるで星の光のように—光源はとっくに消えていても、その輝きは届きつづける。片手を伸ばした誰かの懸命な手を、時を超えて掴むことができます。
そのために、論理を知る。修辞を知る。言葉を知る。
逆もそうです。話すことで、書くことで、自分の思いを誰かに届けることができます。嬉しさも、悲しさも、苦しさも、幸せも。誰かを勇気づけたり、支えたり、励ましたりすることができます。
そのためにも、論理を知る。修辞を知る。言葉を知る。
勉強って、そういうものだと思っています。
他人の思いをより深く汲み取れるように。自分の思いをより正確に伝えられるように。そのための道具を磨くこと。
言葉が溢れかえっている今だからこそ、なおのことそれが大事だと感じます。届かなかった手紙。伝わらない思い。受け取り手のない言葉。そんなものが溢れる世界にしないために、「伝えよう」「受け取ろう」という気持ちを、ちゃんと研ぎ澄ませていかなければいけません。
学ぶことがただ暗記して問題を解くことに終始してしまわないように。
いつかどこかで誰かがやむにやまれずあげた声が、いまなお正しく自分のもとに届くことの奇跡に思いをはせて。