「行きたい大学が、なかなか絞れません」。生徒面談をしていると、そんな声をよく耳にします。
模試の判定が返ってくるたびに志望校の欄をどう埋めるか迷い、オープンキャンパスのパンフレットを眺めても、どこも良さそうに見えて、かえって決められない。決めなければと思うほど、手が止まってしまう。そういう状態は、けっして珍しいものではありませんし、焦らなければいけないものでもないと、私は思っています。
そもそも志望校を絞るというのは、まだ会ったことのない「未来の自分」のために、いまの自分が選択をする、ということです。四年後、あるいはもっと先に、自分が何を面白がっていて、どんな場所でなら機嫌よくいられるのか。それを完全に見通せる人は、たぶんいません。
だから絞れないのは、あなたの判断力が足りないからではなく、判断するための材料がまだ手元に揃っていない、というだけのことが多いのです。材料が足りないなら、まずは集めればいい。そう考えると、少し肩の力が抜けないでしょうか。
とはいえ、手がかりがまったくないわけでもありません。たとえば、何を学びたいか。これは王道の問いですが、「学びたいこと」がくっきり見えている人のほうがむしろ少数派です。それよりも、「これはあまり学びたくない」のほうがはっきりしている、ということはよくあります。数式とにらめっこする時間は苦にならないとか、逆に暗記の多い科目は気が進まないとか。そういう消去法も、立派な手がかりのひとつです。好きなものを一つに決めようとするより、苦手でないもの・嫌でないものを残していくほうが、案外自分らしい輪郭が見えてくることがあります。
それから、どんな環境で四年間を過ごしたいか、という視点もあります。これは学問の中身と同じくらい、いや人によってはそれ以上に、毎日の機嫌を左右します。大きなマンモス校で大勢の中に紛れているのが心地よい人もいれば、顔の見える規模で先生や仲間と近い距離にいたい人もいる。都会の喧騒の中に身を置きたい人もいれば、静かな環境で腰を据えたい人もいる。家から通うのか、一人暮らしをするのか。これらは「どの学部か」という問いの陰に隠れがちですが、本当はもっと正面から考えていい基準だと思います。
卒業した後にどうありたいか、という方向から逆に考えてみるのも一つです。ただし、これもぼんやりで構いません。抽象的なイメージでも構いません。「こういう仕事に就きたい」と具体的に決まっている人は強いけれど、決まっていないこと自体は弱みではありません。むしろ、いまの時点で進路をひとつに固めきってしまうことのほうが、後で窮屈になる場合もあります。手がかりとして使いつつ、握りしめすぎないくらいがちょうどいいのかもしれません。
そして、避けて通れないのが偏差値という物差しです。これは便利な道具です。けれど、偏差値が教えてくれるのはあくまで「入りやすさ」であって、「自分に合うかどうか」ではありません。この二つはまったく別のことです。偏差値の高い順に大学を並べて上から検討していくと、いつのまにか自分の好き嫌いが画面の外に追いやられてしまう。物差しは物差しとして使い、それとは別に、「ここで過ごしている自分が想像できるか」という、数字にならない感覚も、同じくらい大事にしてほしいと思います。
実際にその大学に行ってみないと見えてこないものもたくさんあると思います。オープンキャンパスに行って、実際にキャンパスを見たり、その大学の教授や学生の生の声に触れたりすることも非常に大事だと思います。
最後に、もう一つだけ。絞れないまま、もうしばらく宙ぶらりんでいる。それも、私はひとつの過ごし方だと思っています。早く決めた人が偉いわけでも、迷っている人が劣っているわけでもありません。
決めかねている時間は、それだけ自分の基準をていねいに探っている時間でもあります。手がかりを一つずつ手に取りながら、急がず、けれど少しずつ。自分なりの「合う」が見えてくるのを、楽しみに待っています。