宮崎興治の生徒に!保護者へ!塾内日誌!

BLOG学ぶということ(阪田)

2026.03.25

学ぶということはつまらないものだと考えられがちだ。
問題集を解いて、テストの点を競う。
ただそれだけであれば、なんで勉強するんですか、なんていう疑問も湧いてしまうことだろう。

矮小で窮屈な「学問」のイメージから、どうか解放されてほしい。

学問とは本来、もっと広く、豊かで、自由なものだ。教科書の中だけに存在するものでも、試験のために詰め込むものでも、資格を取るための道具でもない。それはもっと根源的なもの——人間が世界と出会い、世界を理解しようとする、その営み全体のことだ。

朝食べたご飯のことを考えてみてほしい。その米はどこで育ち、誰の手を経て食卓に届いたのか。炊き上がる白さの中に化学がある。農家の暮らしの中に経済がある。食べるという行為の中に文化と歴史がある。ふと耳に入ったニュースの一言が、政治を、倫理を、人間の本性を問いかけてくる。公園の木々のざわめきには生態学が宿り、肌にじんわりと感じる春の気配には気象学が、そして詩が、哲学が潜んでいる。

世界は、学問の宝庫だ。

「これは勉強と関係ない」と線を引いた瞬間、学問は小さく縮こまってしまう。壁を作るたびに、世界との通路が一つ閉じていく。逆に、すべてとつながろうとする意志を持てば、生きている時間そのものが学びになる。通勤の電車も、友人との他愛ない会話も、眠れない夜に頭の中をぐるぐると巡る問いも——すべてが、あなたの知性を育てる土壌になりうる。

真面目な人ほど、「”勉強”をしなければ」と思い込みやすい。決められた時間に、決められた場所で、決められたやり方で学ばなければいけない、と。けれどそれでは、机に向かう時間だけしか学びにカウントされない。その外側にある膨大な時間——日常のすべて——が、宝の山であることに気づけないまま過ぎていってしまう。

本を読むことも、料理をすることも、誰かと言い争うことも、映画を見て泣くことも、道端の花の名前が気になって立ち止まることも——その一つひとつの中に、学問の本質は深く根を張っている。知ろうとする心、感じようとする感性、問い続ける姿勢。それこそが学問の核心であり、それはあなたがすでに日々の中で持っているものだ。

だから、感じ取ることを諦めないでほしい。「どうせ自分には関係ない」と、つながりを手放さないでほしい。世界があなたに語りかけてくる声に、耳を澄ませてほしい。どんなに無関係に思えるものでも、実はあなたとつながっている。その細い糸をたぐり寄せていくことが、本当の意味での学びではないだろうか。

あらゆるものから感受がある。

精一杯、片手を伸ばし続けてほしい。

世界のすべては、学問のすべては——あなたと関係があるものだから。
あなたが生きているこの瞬間、瞬間が、すでに学問の中にあるんだよ。

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