読書が趣味というか生きがいなので、主に本を読む生活をしています。最近再読した中で、『掃除婦のための手引き書』が大変良かったです。
推しの翻訳家の岸本佐知子の訳だったので、本屋で手に取った記憶があります。知らない作家だけど、岸本訳なら面白いだろう。
ルシア・ベルリンはアメリカの作家です。掃除婦、電話交換手、看護師助手——さまざまな仕事をしながら短編小説を書き続け、2004年に亡くなりました。この本は彼女の短編集で、没後に再発見され、いまでは世界中で読まれています。海外純文としては売れに売れたので、続刊が今もなお発刊されています。
読んでみると、驚きました。
病院の待合室、古いアパートの台所、バスの窓から見える景色。どこにでもある場所が、彼女の文章を通すと突然、鮮やかに立ち上がってくるのです。特別なことは何も起きていない。それなのに、目が離せない。「言葉でこんなことができるのか」と、純粋に感動しました。
読書の力について、私がいつも思うことがあります。参考書や問題集は「正解にたどり着くための言葉」でできています。
でも小説は違う。答えのない場所に連れて行き、それでも最後まで読者を手放さない。そのためには、言葉のひとつひとつが強力で本物でなければならない。
読書を習慣にしている生徒が、文章読解や記述問題で強いのは、こういうところに理由があると感じています。意味を追うだけでなく、言葉の重さや温度を無意識に感じ取る力が、読書を通じて少しずつ育まれていくのだと思います。
塾で英語の音読や長文読解を指導していると、「意味はわかるのに、なぜか心に入ってこない文章」と「意味がよくわからなくても、なぜか引き込まれる文章」があることに気づきます。その差はどこにあるのか、とずっと考えてきました。
ルシア・ベルリンの文章を読んで、少し腑に落ちた気がします。本物の言葉には、意味の前に、触れた瞬間に何かを動かす力がある。そしてそういう文章にくり返し触れることが、言葉を扱う力をじわじわと育てていくのではないかと。
語彙を増やすこと、文法を理解すること、もちろんどちらも大切です。
でもその土台として、物語に没入する経験や「すごい文章だ」と素直に感じる経験が積み重なっていると、言葉への感度がまるで違ってくる。
国語でも英語でも、長い目で見ると、そこが効いてくると思っています。読書は、勉強の外側にあるものではなく、学力の地盤を静かに、しかし確実に作っていくものだと私は考えています。
目を通じて頭の中に入れた文章が多ければ多いほど、頭の中で発酵して、知識のネットワークが作られていく。知識のネットワークが大きければ大きいほど、より早くより正確に理解をすることができるでしょう。
読書は直接的に短期的に点数に結びつくものではないので、優先順位が下がってしまいますが、いわゆる「地頭」と言われるようなものは、こうして養われていくのではないでしょうか。
回り道だと思うことこそが、教養を涵養してくれる。役に立たないように思えることこそが、自分の支えになってくれる。
短編集なので、気が向いたページから読めます。一話ごとは短く、でも読み終えると妙に長い余韻が残る。そういう本です。物語でドライブするものではないので読書入門には向かないかもしれませんが、言葉でこんなことができるんだ、と感動できる一冊です。
