今日は夕方まで、授業をしたり質問を受けたり。
夕方からは生徒たちを自習室から帰して、
1人でひたすら本を書いた。・・・今まで。
黙々と書いていると気分が滅入ってしまうので、
音楽をガンガンにかけてテンションを上げて書く。
生徒たちがいると、この方法が使えないので、
せめて日曜日の夜だけは、と思い、生徒たちを帰した。
今日もそうだが、
私はできる限り全力で毎日を過ごしている。
理由は2つ。
1つ目の理由は、生徒の中の誰よりも私が頑張っていないと、
生徒たちに説得力を持って話しをすることができないから。
「自習室に来て勉強をしよう!!」
「宿題はやろう!!」
「確認テストに合格しよう!!」
など、どれも生徒に「頑張れ」と言っている。
そんなことを言うのだから、
私が一番頑張っていないと筋が通らない。
2つ目の理由は、人生の運を良くするためだ。
「運が良い」
よく聞く言葉だと思う。
一般的には「何か偶然にいいことがあった」というイメージだが、
私の解釈は違う。
「運」とは「自分で運ぶもの」だと思う。
全力で生きていく中で、「運」は運ばれてくる。
今、ちょうど夏の甲子園が開催されているが、
どうしてあんなに多くの人が応援をするのか。
どうしてあんなに心を動かされるのか。
それは、試合をしている高校生が全力だからだ。
全力で練習をして、全力で試合に臨んでいる。
だから、応援したくなるし、感動がある。
人生もこれと同じだ。
どんなことをやっていても、
全力で生きている人には必ず応援してくれる人が現れる。
その出会いを活かすことで、人生は開けてくる。
で、人生が開けた人はこう思うのだ。
「自分はなんて運がいいんだ!」と。
逆のことを考えてほしい。
何にもしていない人がいたとする。
そんな人に突然、
「プロ野球選手になりませんか?」
とか
「うちの会社に入社してくれませんか?」
とか
そんな話しが来るわけがない。
毎日必死に野球の練習をしている人にだけ
「プロ野球選手になりませんか?」
という声がかかる。
毎日必死に仕事をしている人にだけ
「うちの会社に入社してくれませんか?」
という声がかかる。
つまり、全力で何かを頑張っていないと、
運が良いことなんて起こらないのだ。
万が一、何もしていないのに運が良いことが起こったとしても、
そのチャンスをものにすることはできない。
ぜんぜん野球の練習をしていないのに、
万が一、運よくプロ野球選手になれたとしても、絶対に活躍できない。
結局、運を運ぶのも自分次第だし、
運をものにするのも自分次第だ。
全力で毎日を生きていれば、
必ず運が運ばれてくるわけではない。
でも、全力で毎日を生きていなければ、
運は運ばれてこないし、ものにもできない。
だから、私は毎日をできる限り全力で生きている。
そう・・・、
だからこれからまた本を書くのである・・・。
がんばれ、自分!